話す間柄にまだない


「ユニークな妹だな」
 食べ終わってから悦嗣は、離れのレッスン室にさく也を案内した。言葉の洪水の中に浸かるのにも、さすがに限界が見えてきていたので。
「一日一緒にいたら、耳鳴りがするぞ」
 エアコンのスイッチを入れながら、彼の言葉激光脫毛價錢に答える。噴出し口から温風が流れた。
 振り返り、今度は悦嗣が聞いた。
「兄弟は?」
 壁一面は書棚になっていて、楽譜が並んでいる。さく也は近寄って一冊を手に取り、頁をめくった。
「弟がいる、双子の」
「双子?」
 悦嗣は意外に思った。てっきり一人っ子と言う答えが返ると予想していたからだ。お互いの家庭環境までから、親兄弟の影が見えないのはあたりまえだが、それ以上に、彼はそれを想像させない。
「へえ、同じ顔がいるのか」
「二卵性だからあまり似てない」
 次の答えは素っ気なかった。なので会話もそこで終わり。悦嗣は夏希の才能を実感した――このさく也相手に途切れる事無く喋りつづけることが出来るのは、一種の才能と称することが出来よう。それは立浪教授にも言えることだった。あちら楊海成は年の功も加わっているので、計算も入って始末に負えないところがある。
 中原さく也は月島芸大で模範演奏をすることになった。プロの演奏家に頼むのだから、本来、相応のギャラが発生するのだが、彼はそれを受け取らないかわりに、立浪教授にある条件を呑ませたのである。

『加納さんの講師の件をしばらく引っ込めて頂けませんか?』

「おまえ、なんであんな条件出したんだ? 共演の話なんて無いだろ」
 楽譜に目を落としていたさく也が、悦嗣を振り返った。
「あんたに貸しを作っておくのも、面白そうだと思って」
 悦嗣はポカンと口を開けた。またもや会話が途切れる。
 さく也は四、五冊楽譜を選ぶと、悦嗣の座るピアノの上に置いた。どれもヴァイオリン?ソロの楽譜である。もとは悦嗣の所有物で、伴奏の課題や学内演奏会で使用したものだった。卒業してからは使うこともなく、家を出る際に置いていったので、ずいぶん久しぶりに目にする。
「どれか弾ける?」
「もともと俺の楽譜だ。このチャイコ(チャイコフスキー)は、スケルツォなら弾ける。ヴォカリーズもよく弾いた」
「じゃあ、この二曲にする」
 ラフマニノフの『ヴォカリーズ』とチャイコフスキーの『なつかしい土地の思い出』を残して、あとの楽譜は片付けられた。それからその二冊を、悦嗣に渡す。
 悦嗣は顔をしかめた。渡された意味はわかっていた。
「俺?」
「弾けるかって、ちゃんと確認した」
「立浪はバッハのシャコンヌを期待してたぞ」
 シャコンヌはバッハのヴァイオリン?ソナタで、無伴奏の難曲。酔って眠ってしまったさく也は覚えていないことだが、立浪教授はこの曲を演奏してもらいたいと悦嗣に話していた。無伴奏ヴァイオリン曲の頂点に立つ曲この曲は、プロの演奏家ならレパートリーに加える努力をする。
「一人で弾くのは好きじゃないし」
 さく也は考慮する気もなさそうだった。「弾けないから」と答えないところをみると、彼もやはりプロなのだ。
「ここは使わせてもらっていいのか?」
「夜なら構わないと思うけど。わかってんのか? 俺は仕事あるんだぞ」
 クリスマス?コンサート等々で調律の依頼が毎日入っている。それとなく断っているつもりだが、わかってくれているとは思えない。と言うよりも、聞く耳持たない風情がある。
 それに今ひとつ強固に断れないのは、悦嗣優纖美容好唔好の指が鍵盤を懐かしがっているからだ。六月に聴いたあの中原さく也の『音』を、もう一度感じたがっている。
「ヴァイオリンは?」
 プライベートの旅行だと聞いている。ウィーンからの距離を考えると、仕事でもないのに、大事な楽器を持ってきているとは思えない。彼くらいの弾き手が使っているヴァイオリンは、そこそこ銘器のはずだ。
「持ってきたよ。あんたと弾くつもりだったから」
 さく也はさらりと答えた。
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